HKグルーバーは、1943年ウイーンで生まれ、子供の頃なんとウイーン少年合唱団に属していた。
1961年コントラバス奏者として「アンサンブル・ディー・ライエ」団員、その後1969年よりRSOウイーン放送交響楽団に就職。
このアンサンブルについての過去記事は
ここです。ウイーン少年合唱団からコントラバス奏者って、まるで「ディー・ライエ」のマネージャー氏のようです!!
伝統に、、なるかもしれませんね。
彼がまだ作曲を始めてはいたがオーケストラ奏者だった頃。
ニューヨークへのツアー中、バーンスタインが滞在中にニューヨークフィルとのコンサートを行うということを知り、コンサートを聴き、バーンスタインに会いに行く。
当時飛ぶ鳥を落とす勢いのバーンスタイン。
ぐんぐん有名になり、メディアが押し掛け、ファンはもちろんどうにか彼に取り入ろうとする太鼓持ちにまで囲まれる毎日。
そこにあまり見栄えが良くない格好をした、英語もおぼつかない外国人が近寄って行く。
なんとかバーンスタインに初演してもらおうと、贈り物をし、スマートな会話で気を惹こうとし、必死になる取り巻き達は怪訝な顔をして彼を蔑んだ目をしたそうだ。
なんだこいつは、と花に囲まれる彼の楽屋にいた全員がグルーバーを見る。
「これに目を通してほしいんですけれど」
彼が手にしていたのは、「フランケンシュタイン!!」のスコア。
バーンスタインはドレスアップした取り巻きの冷たい目を気にも留めず渡されたスコアを見る。読み始める。
すこしの静寂の後、
「これ、おもしろいね!!
うん、 うん。 このままで、、
・・・
いや、 もう少し長く。そう、このスタイルのままもう少し長く、これだけでコンサートの前半いけるような作品にしてみるのはどう? 」
思いもしない展開に周りは凍り付き、グルーバーの顔はほころび、彼は一夜にして一部の人達にねたまれる存在になったということです。
壇上に導かれたグルーバーはマイクを持たされ、愛らしいウイーン訛で
「これはアメリカや他の国で演奏されることの方が多い曲なのでここウイーンで演奏されることが本当に嬉しいです。」
と言いました。
現代において、もっとも急にキャリアが開けた作曲家の一人であると語り継がれる彼のエピソードでした。
lara