ヨーロッパ。年末年始は、ボランティアの季節。 |
ようこそ!!! laraです。
春が。。。来るのかな?
私たちに出来るボランティア活動を、企画してくれる有り難い方がいます。
自分ではなかなか考えつかないお出し物、企画、演奏会などをコーディネーションしてくれる、有り難い活動。
それはやはり感謝の日々であるクリスマス前後に集中し、
いろいろなかたちで実現されてゆきます。
そのなかの2つをご紹介します。
企画はディアコニー・オーストリア
実質的な助けをはじめとして、
わたしたち音楽家には毎年
普段音楽を楽しむ環境から遠くにいる人達のなかに音楽家が入り込んでゆく、
おもしろい企画を持って来てくれます。
私も時間が許す限り参加させてもらいます。
音楽ってこういうことだったんだな、と思わされる、
なくてはならないデトックス&リセットのような体験。
こういう立場にいることが出来るのを心から感謝します
ことしのボランティアのお仕事は、
障害を持つ子どもたちを普通のクラスに入れて活動する、幼稚園、小学校、高校への
音楽の出前と、ミュージカルの音楽担当!!
まずは幼稚園。
踊っております。
かわいいです。
うぷぷ。
今日はフルートとオーボエの、音の出し方を一緒に体験してみます
(フルートは自分が忙しいので写真無し〜)
いずれも、
隣にいる子まで思いっきり口元が力んでいるカンジがサイコーですっっっ
そしてギャラ。
さぁてまた次の週は・・・
小学校、中学校の、ミュージカル!!
お出し物は 「ダニエル」
ユダヤ人で捕虜だった予言者のダニエルは王に気に入られて昇進。
妬む大臣たちがダニエルを陥れてライオンの洞窟に放り込むが、
彼は無事に生還しハッピーエンド☆
というものです。
通し稽古も、公開です
まさにコノ状態↓のことを、ドイツ語で
「ケーブルのサラダKabelsalad」と言います(爆
聴く方も、期待いっぱい!!
がんばって!
これがね。
なかなか上手なのですよ!!
手足のコンビネーションがうまくいかない軽い障害を持つ男の子が悪者役をやったのですが、
まさに、彼の強みは「言語」。
ゆっくりとハッキリ発音し、
抑揚をつけて皆を説得する意地悪な役人を演じるところなど
本当にプロ顔負けです
一声の歌を(!良いアイディアです!これだったらあまり得意でない子も大丈夫。)
みんなで元気よく歌っていきます。
それに合わせた踊りも個人個人でキャラクターを考えて圧巻!!!
先生方の手作りの衣装もとってもよくて
大成功でした☆おめでとう☆☆☆☆
次のチャンスは
いよいよ一般に公開・・・・・
話題を呼んだのか入りきれないほどの人で、半分以上は横のエントランスに立って観てくれました
この時に来ていたザルツブルク・オイロパーク(ショッピングセンター)内にあるホール「オヴァル」の責任者がその場で連続公演のオファーを!!
私たち4人の音楽家もすぐにマネージャーに呼ばれてこのプロジェクトをリピートする気があるかを問われました。
「もちろん!」
子どもたちの誇らしげな様子は、わたしたちを誇らしくしてくれます。
とても、大事だと思うのです。
「どうも自分と都合が違う人達がいるみたい。。」
ということを、子どもが自然に憶えていくこと。
誰でも、肌の色が全く違う人を初めて見たらびっくりします。
わたしだって、こちらに緑色で足が3本の人が歩いてきて「どもども」何て言ったら
どんなに友好的なカンジでもまずは逃げ腰になるでしょう(笑
大きさが違ったり、自分に見えるものがそのひとに見えなかったり、
自分たちにあるものがなかったり、あったり。
見かけだけでなく、自分に出来ることがその人にとっては難しかったり、
反対に全く考えもつかない能力を自然に使っている人がいたり!
誰ひとり同じ人はいない、見かけも能力も感じ方も凄い幅。
自分は早口だけど歩けない。何か言いたい事がある時に自分に頼ってくるあの子は、一言に苦労するけど計算機のような頭脳。
何でも器用に出来るワタシは計算機なあの子と成績はクラスでトップを争うし体育は一年上のクラスに参加。
考えて理解するのに時間がかかるボクは、
お勉強は特別のクラスだけどお料理や音楽はみんなと一緒。
それをお互い身近に感じつつ自然に、段を上がれない車椅子の友だちには手を貸すようになり
なかなか言葉が出てこない子をそのまま受け入れて普通に少し待っていてあげたり。
難しいことではないけれど、そういう事を全く経験せずに大人になってしまった人達は
それをするのが難しい場合があります。
そう、お年寄りでさえ近くにいなかったひとなど、
一から学ばなければならない人達もたくさんいるはずです。
子どもの将来の事まで考え、人間としての経験値を幼稚園の頃から自然に手助けしてあげようという親の考えもあり、そういう趣旨の学校へ送られてくる、一般的に正常と言われる子どもたちと、少し問題がある子どもたち。
だれも申し訳ないと思わず、優越感も持たず、
何の境界線もなくふつうに一緒に遊ぶ、学ぶ、歌う、この子たちを見ていると明るい
未来を望むのは夢ではない事がはっきりします。
で、今日のギャラは
これと
これです
アーモンドのキャラメル・ロースト! コーヒーに、いいですよね〜〜〜。
・・て。
ここはどこでしょう
はい。
そです。
クリスマスマーケットで、
成功のカンパイ☆
でした。
^。^/
読んでいて、胸が一杯になって、涙が出てしまいました。
素晴らしい活動がなされているのですね。
今はまだ僕らが「優しさ」と思って行っていることを
当たり前のこととして行うことができる人が増えていくことに期待を込めるという。。。
そんな活動の手助けを今後も無償で続けてゆくlaraさん、素敵です^^
去年はお世話になりました。
今年もよろしくお願いいたします。
また一緒に楽しい事できると良いですね♪
今回書かれた事、まさに母と私達が目指す所。
私は同じ事を思って私の子達を育てているんです。
だから、何も特別でないはずのあの母のところに子ども達を自然に入り込ませています。
そして、同じような考えをお持ちの障がいのある子を持つ親さん達と音楽を通した活動を今月からはじめます。
laraさんの記事を読んで、私がやれることをまた確信しました。
ありがとうございます。
思い出させてくれるような。
ふと周囲を見れば、東京などでは世代や属性によって人間がみんな
細かく仕切られてて、お互いにほとんど交流が無かったりして・・・。
属性や条件が違う人には、干渉しないというより無関心、ってのが。
「おせっかい」=「親切」という大阪人のワタシには寂しい環境です。
微笑ましくも少し考えさせてくれるエントリーでした。ありがとうございます♪
日本よりかなり多くのダウンシンドロームであろう子を持つ親達が、普通に散歩を楽しんでいたり、街中でも、色々なハンディを持った人々が、ごくごく自然に生活をしている場面に遭遇しますね。
私も言うならば言語にハンディを持つ(ただの怠け者)者として、いかに多くの方々が外国人としてではなく、自然に一個人として受け入れてくれている事か。 実にありがたい事です。
時々ハンディを持つ人々共演の劇などの様子を見ても、皆幸せそうな笑みをしているのが印象的です。
どんなに美人で優秀な学歴を持つ店員さんでも、ぞんざいな態度を取られると、こちらも勿論嫌な思いをしますが、決まって相手も醜い形相をしています。
お互い心がすさむんですね。
傍で聞いていれば、へんちくりんな会話でも、笑顔で対応してくれるハンディのある店員さんの方が、ずっとずっと外国人である私の居場所をつくってくれています。
おそらく彼らも、温かい幸せなひと時を過ごせているのでしょう。
自分の出来る範囲で肩肘張らないから、自然に相手にも幸せが届くって、一番幸せな事なのでしょうね。
JunJunさまは、ほんとうに感受性が豊かな方なのですね。。
私のように怠惰で自分から何も働きかけないのに、職業柄こういう機会を自然に与えられるなんて全く贅沢なものです。
自発的にそれをなさる方々のアイディアとエネルギーに頭が下がります。
lara
そう、そのとおりなのです!
どういう”つもり”でも、助けは助けなのですけれど、それが自然に行われる事が理想ですよね。
そして、決して「障害者のため」などではなく、「おたがいの為」であるという考えこそが出発地点なのでしょう。
素晴らしい発想、その環境の中に数時間もいれば、不思議ですが・・本当にあたりまえのことになってしまいます。
lara
ようこそお越し下さいました!
こちらこそ今年もよろしくお願い致しますm。。m
そうです、これは、小島さまとTONさまのヴィジョンです!
あの新年の2日間のこと、いつも昨日のように思い出します。
そしてここでも、なじみのふるさとで感じたものと同じ、素晴らしいホスピタリティが時別ではない空間において、普段何も考えていない私のような人間がなんとすんなりと、知らないうちに溶け込んでいて。。
障害のない人が、障害がある人に助けられて、その逆もあって、丸くおさまっているのですよね。
誰も与えているとも与えられているとも思わず、なんだかフツーに。
TONさまの音楽を通した活動、きっと企画する側はものすごく大変なのでしょうが、そこに参加する人々はその「理想の環境」にすぐに慣れ、子どもたちは知らないうちに人間として何倍も大きくなってゆくのでしょう。
その環境を準備してくれる親のもとに暮らす子どもたちは幸せ者ですね。
2011年、そのような準備をなさるTONさまがその輪をどんどん広げて行く事が出来ますように。ますます幸せの波紋が広がっていきますように!
lara
なんと、関東と関西ではそれほどまでに人との付き合い方に差があるのですか。。知りませんでした。
そうです、仕切ろうとしても、どうせ千差万別な一人一人。無理矢理どうにか仕切っているようなものでしょうから、あってもないようなものですね。
無関心でいる事でどれだけ損をしているか一度理解できれば、誰だって元に戻ろうとは思わないですよね
子どものうちから、そういう理想を自分で探しはじめる年齢の前から、環境をポンと与えられる幸運は・・まだまだ少ないのかもしれません。
lara
おっしゃるとおりです!
外国人として、自分が外国人であることが相手にとって影響力あるなーと思うとき。。その壁が無い人とのコミュニケーションと比べてしまう時。。ありますよね!
相手が、「壁がある」と思い込んでいると、こっちが言おうとしているモノ凄くカンタンな話題が通じなかったりする事がありますものね。
それをハンディと比べた事がありませんでしたが、全く通じるところがあってわかりやすいです〜。さすがです、Flockeさま♪
それにしても人間は自分に都合の良い環境にはあっという間に慣れてしまうものなのですね。この、境目の無い、壁の無い環境は、私にとってどれほど健康で自然で、良い環境であるかがわかりました。
lara